やり過ごしの日々日記

〜想いのつぶやきあれこれ〜

さだまさしと諦め方

さだまさしが、ラジオで、自分をまず疑って、その後、自己肯定する必要がある、と語っていた。仰ることはわかるし、この難しさも本人も十分に理解していた。

しかし、自己肯定をどうしたって自ら取り出せるものではない。

極端に例えると、いじめやトラウマ、虐待を受けた人は、自ら肯定はできない。また、今の環境下にあるものに感謝して、不平不満は慎んで、現状に満足しろ、という助言もある。

自己肯定という漠然としたものより、自己の雇用や環境調整、欲望や願望の適切な諦念はどうだろうか(自分のことだな、)。

あるいは、大事な人やテーマ(生きる意味)の創造の必要。

論点がずれるが、成熟するには、諦めや喪失が必要とのことだ。

現代は、夢や希望、可能性の追求が称揚されているから、断念は困難で、なぜなら諦め方を教わってはいないのだ。