やり過ごしの日々日記

〜想いのつぶやきあれこれ〜

季節は移ろい、自己も揺らぐ

朝晩肌寒し。季節は廻る。

 

最近は、これまでの体験を元に来年度も仕事を続けるのかと考える。一つ言えることは、相方の正職員の方の存在が大きくて、果たして、相方が異動になり、一人になった時にできるだろうか、ということだ。いや、仕事はできるだろう。ただ、教育界や今も自分は職場で浮いているように感じてしまうのだが(自意識過剰)、続けていける職場なのか、よくよく考えこんでしまう。

 

それくらい、職場は一般社会とは異なる雰囲気なのだとは思う。妙な人や難しい人がいなくて、働きやすいのだが、緊張感や忖度はやや強めだけど、ずっと職員室にいるわけでないし。ましてや、先生方と私の立場は違く、比べるのもおかしい。自分の仕事に専念するべきだ。

 

私は用務の補助的な立場なので、あまりコミュニケーションする機会もないため、周囲にどう見られているか、馴染んでいないようにも感じてしまうのだが、恐らく、要所で声をかけられることもあるので、認められているのだろう、とは思い直している。

 

私としては、もっと寛容に大きく構えて、その場にいたいのだが、自己肯定感が低いからか、余計なことを想起してしまう。

 

仕事の中に留まり、甘んじ、孤独に耐えるべきなのだ。その中に自分の居場所があるはずだ。

 

そして、振る舞ってきた過程が「自己」なのだ。ということは、振る舞う連続性の中にのみ自己があるはず。