やり過ごしの日々日記

〜想いのつぶやきあれこれ〜

書きながら思ったこと。

自己の根底には否定性を抱えている。否定性を肯定して、我々は存在している。故に現状に満足しにくい。否定性を前に身投げしながら生きている。そして、常に欲望が顔を出す。欲望の根底には、他者との関わりが潜在している。自己は、自己であることを引き受け、孤独に耐えなければ、他者と対等な関係性を築けない。孤独に耐え、孤立を防ぐ。この一見矛盾したような構造が自己にはある。

 

最近、また犯罪が多く、最早日常の一風景と化して、何も感じなくなって久しい。いや、感じたところで、自分の生活に追われ、何事もなかったように過ぎていくのだろう。他者からのまなざしの不在の時代で、我々は、改めて他人に関心を持たなければならないと思う。

 

ロシアウクライナ戦争で、これほど国を意識したのは初めてだ。我々日本人は、最早戦えるわけないと思う。そして、誰が日本のために命を投げ出すだろうか、。憲法改正はする他ないと思うが、具体的なことを言える政治家は現れるのだろうか。または、平和憲法を死守できる論理を言う人間が現われるのを待っているのだろうか。それとも、考えたくない事案のために思考停止しているのだろうか。

 

そして、我々は戦わなくてはいけないことを受け入れることはできるのだろうか。この世に勝手に生ませられ、命を賭けて戦うことを強いられる世の中って、なんなんだ。野蛮極まりない。

希望がない、至極辛い世の中だ。だから、私たちは、小さな幸せを大事に、糧に生きてるのだろう。大した変化のない日々の中での、静かな朝のカフェオレ、夜の至福のお風呂など、ささやかな時間を愛しく噛み締めるのだ。