やり過ごしの日々日記

〜想いのつぶやきあれこれ〜

鬼滅の刃、、つらつらと~

今年も終わりが見えてきましたね。私は、例年と変わらず、一身上の都合で、職を転々としました。臨床心理士は、それは結果的に、と言ってくれましたが、。

 

話変わって、アニメ、鬼滅の刃が大人にも人気な故は、鬼にも悲しい過去があり、理由があって、鬼になってしまった、という想像力を掻き立てるところがあるだろう。現代は、いじめや虐待、ひきこもり、不登校、通り魔、理由なき殺人など、凄惨な事件が多くあります。

死刑制度存続や精神障碍者の犯罪による減刑や免責の問題もある。無論、人間には、罰しようとする意思がある限り、罪が作られる(あらかじめ罪、それ自体があるわけではない)。自殺したい者は自殺し、殺人を犯したい者は殺人をおかす(至極、当たり前でしょう)。

罪を憎んで、人を憎まず。つまり、正当な罰を与えたら、人を許す、ということも勧善懲悪的な物語の中に含まれている。

我々には、善悪を明確に分けたい欲望がある。善を勧めたいし、悪を遠ざけたい。しかし、善を行うには、負荷がかかり、悪は欲望される。倫理に普遍はない。倫理は、個人の他者との関係の仕方にかかっている。そして、それこそが、自己の存在の根拠なのだと、思う。

しかしながら、倫理まで行く付く人は、多くはない。なぜなら、他者関係の根拠まで考えなくとも、道徳で十分生きられるからだ(法律や制度、規則等)。

 

率直に言えば、鬼も鬼滅隊も人間の延長線上にあり、鬼滅隊にもトラウマがあって、鬼を正義の上で殺している。人間は、善と悪を行き来しながら、自分とは異なる他者との共存に生きている。

 

話がまとまりませんでしたが、最後まで読んでいただきありがとうございます。