やり過ごしの日々日記

〜想いのつぶやきあれこれ〜

近況

エア出勤も父親以外には、晴れてばれて楽になったが、引き続き、エア出勤は続けている(父がいるから)。無職生活も数か月が過ぎ、無職生活が日常になってしまい、これではまずいと感じ始めている。

しかし、姉の紹介で仕事の面接の話がある(連絡待ちだが、半信半疑)。

相変わらず、コロナも落ち着きはせず、辟易しますね。

私も大変難儀ですが、個々の事件や世界情勢を見ると、地殻変動並みにこれまでのシステムや人間のあり方の変革を迫られているように感じます(今に始まったことではないですが)。

混沌な世の中ですねまさに。

 

 

さだまさしと諦め方

さだまさしが、ラジオで、自分をまず疑って、その後、自己肯定する必要がある、と語っていた。仰ることはわかるし、この難しさも本人も十分に理解していた。

しかし、自己肯定をどうしたって自ら取り出せるものではない。

極端に例えると、いじめやトラウマ、虐待を受けた人は、自ら肯定はできない。また、今の環境下にあるものに感謝して、不平不満は慎んで、現状に満足しろ、という助言もある。

自己肯定という漠然としたものより、自己の雇用や環境調整、欲望や願望の適切な諦念はどうだろうか(自分のことだな、)。

あるいは、大事な人やテーマ(生きる意味)の創造の必要。

論点がずれるが、成熟するには、諦めや喪失が必要とのことだ。

現代は、夢や希望、可能性の追求が称揚されているから、断念は困難で、なぜなら諦め方を教わってはいないのだ。

 

 

 

 

 

先と今が見えない

農業は辞めた方がいいだろう(諦める)。辞めた方がいいだろう、ということは決してやる気があったわけではないのだろう。相談してきたが、何の作物をどのような方法で作るのか、最低、始める前の段階で決める必要がある、と指摘された。私は、自然の中で身体を動かして働きたい、それだけでは駄目だと(入社してから続かない恐れがあるから)。

そして、ハローワークの求人検索をしてみが、例に倣って、変わり映えしない求人たち。そして、やってみよう、とどうしても思えない。

やはり、私が甘ちゃんなのだろうか、、。

派遣会社にひとまず求人情報を依頼してみようか、。

これまで仕事が続かないし、希望が見当たらない。

社交不安障害・対人恐怖症なものを抱えているが、グレーゾーンだ。私は、メンタルクリニックに定期的に通院しているが診断名は特に伝えられていない。自立支援医療自給の際の申請書には、適応障害と記載はされた(処方薬はない)。

色々と試行錯誤してきたつもりだが、根本的なものがなかなか変化してないように思える(頑なさ)。

前面に立つ社会の人たちが器用に生きているように見える(決して悩みがないわけではないと思うが)。

ちょっと、きつい状況だな、。

想いつらつら

農業の求人は数少なく出てはいるが、気が乗らない。実際に見学もいくつかしている。田舎の風景を見ると、落ち着くが切なくも感じる。農業従事者の方も、素朴そうで、親近感を感じる。一般職より精神的なストレスも緩やかだろう多分。

人間の成熟には、適度な諦めが必須とのこと(万能感を捨てる)。自然の中で働くし、嫌いじゃないし、やってみるか、程度の気持ちでいいのかもしれない。

しかし、私は、社風やとっかかりや、選択のなにがしかの根拠を欲してもいる。

皆さんは、どうやって今の職にありつけ、何にコミットし、継続してますか。

葛藤

もうだめかもしれない。ここまで、追い詰められている。

農業会社の見学に行ったが、あまり気が乗っていない。県の農業公社から研修先があるか返事待ちだ。

コロナ以降、求人も減るだろう。アイデアなし。やばし。

最近は、世の中の印象的な出来事が起き続けている。そして、当たり前だが、それでも世はさも関係なさそうに動いている。

鬱にもならず、流れるままに生きるのは困難だ。

人間ってなんなの苦笑。一つ言えることは、哀しい生き物だ。

コロナ後は、どんな倫理が誕生するのだろう。いや、もう我々の中にはうっすら芽生え始めているのだろう。

面接と失業

私事ですが、農業求人の面接が落選した。農業の求人では珍しく、応募者が多数だったのだが、正社員のハードルを高く感じた。疑問質問の深堀りの圧迫面接のようにも感じた。

応募者の倍率から落選覚悟はしていたが、また振り出しに戻るのはしんどいものである。こればかりは、相性とニーズが合わなかったのだと、改めるほかない。

とはいっても、通勤圏内だと農業の求人が少ないので、なんとも選択肢もそれほどないのである、、。溜息。

これから、さらに失業者も多くなる恐れはあります。どうか、焦らず、しぶとく、現状を打開してほしい。人にも勇気を出し、頼るべき。日本でも、コロナ差別が散見されるが、コロナ以前に、国民が人間が、不満や不安を抱え、他者の排除により、憂さ晴らしをしているようにも思える。

寛容な世の中にするためには、人間に、社会に、労り合いや余裕がなければいけない。

あれこれ

恐らく、関東から西は暑くなる時期に入り、マスクするのも憂鬱ですよね。

待つという行為は、大変苦しく、もどかしいものです。期待や不安が入り混じり、なんともならず、ただ待つことに埋もれるしかない。溜息、、。

話変わりますが、世界からコロナ被害の賠償金を求められ、中国がとんでもない請求額を要求されてましたね。

皆さん、自粛が緩和された県もありますが、のっぺりとした時間感覚から、主体性を回復されてきたでしょうか。しかしながら、日本の人たちは、自粛要請のみで、協力して、これだけ成果を出すのですから、世界的に珍しい、稀有な民族ではあります。

為政者の拙さが際立っていますが、それは国民の政治への無関心が手伝っていることも忘れてはいけないと思う。