やり過ごしの日々日記

〜想いのつぶやきあれこれ〜

孤立は危険

先日の、東京の電車内での無差別殺傷事件で、緊急停止した祖師ヶ谷大蔵駅は、学生の頃、よく自転車で、八百屋など買い物で行っていた所です。

小田急線は、新宿から閑静な密集した住宅街へ抜ける、穏やかな路線。

 

犯人とは、年齢も近く、この手の無差別事件は、容易に理解できてしまうところもあり、嫌な気分になるのですが、到底、許せることではなく、怒りと恐怖もあり、防止や改善、予防の社会的責任がある。

 

そこで、私のなんとなく理解できてしまう嫌な気分とは、犯人は、生きる意味や価値を自己に見出せず、そのため、自殺では駄目で(自己否定)、他人を殺さないと気が済まないのだ(つまり誰でもいい)(社会が悪い)。

勝ち組の女性が憎い、とも言っているようだが、恐らく、過去に特定の女性にそれほどまでの不愉快なことをされたのではないだろう(殺人を犯すほどのことは普通の人間はそうそうないし、しない)。

父性を持たない彼は、屈強に見えてしまう男には向かっていけなかったのだろう。

 

そして、自暴自棄な人や、死刑を望んでいる人間の犯罪を見聞きし、私たちは、茫然と立ちすくみ、無力感と空虚感でいっぱいになる(防ぎようがない)。

 

犯人の過去はわからないが、恐らく、孤立していたのだろう(自己にとって孤立は危ない)。

 

生活保護を受給していたようですが、行政との接点は少なからずあったわけだが、深く関わることもしないと思うので、社会全体で共有し、考えていくべき課題だと思う。

この手の犯罪は、防ぐことは非常に難しいし、恐らく、今後もまた出てくるだろう。

 

私は、格差社会市場経済優位の社会を緩和させるべきだと思う。

あまりにも偏り過ぎだと思う。


※念の為、犯人には一切共感できないので、付け足しときます。